きもの
瀬川清子 法蔵館文庫(装幀 熊谷博人)
民俗学者瀬川清子が1942(昭和17)年に刊行した「民俗選書」の中の一冊が
今回、法蔵館により文庫化された『きもの』。
女性を中心に庶民の衣服や生活の歴史を探っていった著作である。
昭和17年といえば、戦時中。そんな時期にこういった書籍を出したのは
2000年来庶民の間で伝えられ、改良が加えられてきた生活の記憶が
近代化によって、断ち切られようとしていることへの危機感があったと思われる。
そして今、私たちは祖先がどんなものを着て、どんな生活をしていたのか
時代劇などから想像して分かったつもりでいるが、それは本当なのか。
例えば江戸時代、江戸や京、大阪以外の日本の人口の大半を占めていた
地方の農民・漁民の姿は、時代劇や浮世絵に登場することはほぼないが、
ついつい、江戸の庶民と同じようないで立ちであろうと考えてしまう。
昭和17年に瀬川清子が危惧した記憶の断絶が現実のものとなっている。
たかだか100年ほど前までの普通の日本人の生活を私は知らない。
そして、私がもっともらしく着ている“きもの”は、江戸時代の都市生活者の衣服が
明治以降の近代化の中で変化してきたものなのだと思う。
それはさておき、この本の中で私が一番目からうろこだったのは 寝室・ふとんに関する記述。
東北のある村での調査で、どの家にも家の一番奥に1間から1間半四方の 寝室があり、板敷でも畳敷きでもなく、土の上に稗殻を厚く敷き詰め、その上に藁を敷いたのが寝床であったという。 全く窓のない、ただ寝るためだけの部屋。つまりベッドに近い寝床だったということか。
それは、その村に限ったことではなく東日本全域に同様のことが及んでいたと。
ここまで読んで、以前アミューズ・ミュージアムで見たドンジャ(夜着)が思い出された。 稗殻のふかふかの寝床に親子家族が1枚の大きなドンジャに裸でくるまる。 厳しい冬の寒さのなかでの暖かな家族の風景。
江戸の長屋では寝食がたったひと間の空間で行われていたことを考えれば、独立した寝室にふかふかの寝床とは ある意味贅沢なことのようにも思える。
ああ、先にこの本を読んでからアミューズ・ミュージアムに行きたかった。
そうすれば、展示された仕事着の数々を見る視点ももっと豊かになっただろうに。
それにしても、本を開くたびに強力な睡眠薬並みに眠気を誘われるのは、 この夏の暑さのせいもあるが、日本各地の方言も含めた名詞がさす、ものや形状が 今となっては、皆目見当がつかないせいなのかもしれない。 クズ、シナ、藤、苧のそれぞれにある各地の方言が煩雑に出てくると、もう適わない。
また、仕事着の袖の形状一つとっても様々な名称が出てくる。 同じ巻袖をあちらではああ言い、またこちらではこう言う。これはどこそこの言い方が少し変化したのであろうなどなど…。 いちいち覚えられはしないのだが、それだけひとの生活にそれぞれの形でなじんでいたのであろうことは想像に難くない。
また、仕事着、晴れ着、夜着、肌着への生活者であった祖先たちの思いなどが、今の私には全く伝承されていないことに、 一抹の哀しさと悔しさを覚えるし、もったいないことをしている気がしてしまう。
今さらではあるけど、この本を読むのと読まないのとでは、きものに対する見方や思いが少し違ってくるのではないかと思う。 どう違ってくるかは、ひとそれぞれだけど、絶対に(と言い切ってしまおう)おすすめの一冊です。
ヤタ
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