前夜から「不要不急の外出は控えてください」というほどの嵐が予想されていた4月6日ですが、朝の天気は至って平穏。
これなら大丈夫と以前からお約束してあった秩父銘仙の新啓織物さんをお訪ねする小旅行を決行することにしました。
新啓織物の新井さんとお友達である「クマさんの文様がたり」の熊谷博人さんのお誘いで実現した訪問です。

横浜の人間にとって新宿から先は、本当に未知の世界。
ということで、いきなり池袋での乗り換えに失敗。もうパニック。いい年した大人がじたばた。情けない。
西武秩父駅で待つ熊谷さんを1時間近くもお待たせしてしまいました。(熊谷さん、申し訳ありませんでした)

飯能で各駅に乗り換えて秩父を目指す電車の窓からは、秩父地方の田園風景がたっぷりと鑑賞できました。
杉林の縁に植えられた山桜の淡いピンク、畑の菜の花、若葉が吹き始めた広葉樹、
曇り空のおかげかすべてがうっすらと霞がかって絵のような美しさでした。

西武秩父で熊谷さんと合流して、まずは新井さんが予約してくださった自然食カフェ「月のうさぎ」さんへ。
蔵を改装したカフェでいただいたのは「四季のごはん 春」。
素敵な器の数々にバラエティに富んだ野菜料理が盛り付けられ、おいしくいただきました。

そこへ新井さんが車で迎えに来てくださり、ご挨拶もそこそこに「ちちぶ銘仙館」へお連れいただきました。
銘仙の工程を展示している銘仙館ですが、私たちはなんとも贅沢なことに
秩父銘仙の織元である新井さんから、細かに説明していただきました。

銘仙は経糸に柄を染めつけてから織る織物です。
一つのデザインを染めた経糸に緯糸の色を変えて織っていくと、まるで表情の違うものが出来上がる不思議さ。
昔は何反分もの経糸をいっぺんに染めたそうです。そうやって、それまでと違う量産ができるようになりました。
写真は新啓織物さんで見せていただいたもの。上から緯糸が白、黒、ピンク、紫、赤のもの、こんなにも違うんです。
一番下に見えているのが経糸だけの状態です。
だから、同じ経糸で年齢の違う人が着るきものがちゃんとできてしまう。

さて銘仙館に戻って、こちらは仮織りした経糸を捺染する台と、染めた経糸を巻き取っていく道具。

糸繰りの工程を説明してくださる新井さん。

染色した経糸は蒸して色留めをするわけですが、蒸し器も大小様々で
木で組んだサウナみたいなものから土管を応用したものまでありました。

  

資料の展示室には銘仙を着たバービーたちが!

ガラスにうっすらと映っているのは4月13日から始まる「銘仙の原画展」の準備中の様子です。
ちょうどいいということで開催前にもかかわらず、こちらも拝見しました。
氷山とシロクマなんて本当にきものになったんだろうかというような図柄もあって楽しい展示でした。
館員のお話によると昭和の初めごろ、秩父駅にはそういった原画を携えた画学生たちがたくさん降り立ったそうです。
原画は機屋さんが高価で買い取ったとか。
画学生たちには、とってもおいしいアルバイトだったんじゃないでしょうか。
そのころの銘仙の売れ具合が今では想像もつかないぐらい、ものすごかったということの証しでしょう。

新井さんのお話によれば、「工業製品」として量産(今の量産とは数が違うでしょうが)が可能となった銘仙は
庶民がおしゃれ着として購入できる、初めてのきものだったということです。
日本の衣服の歴史の中で、それまで一般庶民が着られたのは日常着、作業着としての
藍や黒のきものしかなかったわけですから、
銘仙を選び、買う女性たちの喜びはいかほどのものだったでしょう。
それは革命ともいえる出来事だったのではないでしょうか。いわば「ファッションの大爆発」です。
だからこそ、銘仙は派手で鮮やかな色合い、大胆な柄ゆきが次々と生まれていったのだろうと思います。
資料室で拝見した銘仙のきものの中には、経糸だけでなく緯糸にも染色を施し、縦横絣のように織ってあるものもありました。
緯糸の染め方も経糸と同じように捺染するそうです。
それを「工業製品」として力織機で織り上げていったんでしょうか。ものすごい技術だという気がします。
手織りなら分かります。しかし、あのガチャンガチャンと勢いよく働く織機でそんな繊細な仕事をしていたとしたら、
これはもう、びっくりとしか言いようがありません。

フランク・ロイド=ライト考案の石組みを使った「ちちぶ銘仙館」は美しい建物です。
昭和5年竣工ということです。83年の時の流れ、積み重ねを感じずにはいられません。
写真は本館から工場部分へと続く渡り廊下と応接室からの桜。

もともとは秩父絹織物同業組合が誘致した埼玉県秩父工業試験場だった建物だそうです。
往時の秩父銘仙の隆盛がしのばれます。

銘仙館を後にして新啓織物さんの工場へご案内いただきましたが、
その途中、秩父の名所羊山の桜をたっぷりと巡ってくださいました。
ああ、こんな贅沢していいんだろうかと思うぐらい、雨の中の桜は美しかったです。

新啓織物さんの工場に所狭しと並ぶ力織機や様々な道具、機械。

秩父銘仙の解織り(ほぐしおり)にかかせない仮織りの織機。
新井さんがデモンストレーションをしてくださいましたが、「ここが一番気を使う工程」と仰るとおり、新井さんの目が真剣です。
ピンッと張られた経糸にガチャンガチャンという音とともに斜めに細い細い緯糸が織り込まれていきます。

間合いを見計らって機草を差し込んでいく新井さん。それにしても白く輝く生糸のきれいなこと。

こちらは糸を綛から木枠に巻き取る機械。
今かかっているのは中国産の紬糸。繊細できれいな色でした。

銘仙に使う生糸は大方が中国産、ブラジル産だそうです。
ブラジル産生糸は質が良いそうですが、今や廉価な中国産に押されて世界的な市場でも苦しい立場に立たされているようです。
それでもイタリアのエルメス社は全使用量の90%にブラジルの生糸を使っているそうです。

新啓織物さんでは、埼玉県特産の「いろどり」という繭から取った生糸も使用しているそうです。
その「いろどり」に染料なしで銅媒染をかけた色糸が入った帯を見せていただきましたが、若草色の縞がなんとも爽やかでした。
素敵じゃないか、負けるな国産!とは思うものの、高い織物になれば、
一般消費者の手には届かない価格になってしまうわけで、このジレンマはどう解決していったらいいのでしょうね。

工場を見学していると、新井さんのお母様が入って来られました。
静かに織り機に近づき、仕事を始める。力織機のガチャンガチャンという音がなぜか心地いい。
新井さんによるとお母様はとても優れた職人で、その耳には機にかかった経糸のわずかな不具合がちゃんと聞こえてくるのだそうです。
そして糸が切れる前に機の調整を息子さんにお願いする。
切れてしまってからでは、そのあとの始末に大変手間がかかります。
未然に事故を防ぐなんて、ちょっとやそっとの経験ではできることではないと新井さんの奥様もおっしゃっていました。

銘仙は「工業製品」であるから、もともとは分業化されていて、
例えば織りの工程でとってもめんどくさい綜絖通し、筬通しを専門にする業者さんがいたそうです。
しかし、今ではそういった業者さんも高齢化し、新啓織物さんでは自工場でやらなければならない。
そのための工夫や機械のお話も伺いましたが、
綜絖通し、筬通しだけで生計を立てられるほど昔は銘仙の需要が桁違いに大きかったということなのでしょう。
業界が縮小していくと、新啓織物さんのような織元で行われる作業の種類が
昔とは比べ物にならないほど多くなっていくことになります。
工程すべてを自分の管理のもとに置けるという利点もありますが、大変なことだと思います。
そういった困難に挑戦しながら新しい銘仙を生み出していっている新井さんご家族の絆を感じた訪問でした。

新井さん、ご案内くださった熊谷さん、本当にありがとうございました。

ところで秩父は、横浜三溪園の原家にゆかりの地だと、新井さんから伺いました。
原三溪(富太郎)の養父、原善三郎が秩父市の近くの神川町の出身で、
秩父絹の買継(仲買)から身を興し、横浜経済界のリーダー的存在になったのです。
生糸は横浜の発展に欠かせない輸出品でしたし、
原善三郎、原富太郎がいなければ、今の横浜はずいぶん違った街になっていたかもしれません。
余談ですが、今回2人のことを少し調べたら、官営だった富岡製糸場(群馬県)が三井家に払い下げられたのち、
原合名会社がこれを譲り受け、30年以上製糸場の運営をしていたと知りました。

秩父と横浜、結構ご縁があるじゃないですか。
今回お訪ねした新啓織物さんも、三溪園にはご縁があって、
来月5月17日から19日、「日本の夏じたく」という展示会が三溪園の鶴翔閣で行われますが、
その展示会に新啓織物さんも参加されるとのことです。
横浜の皆さんが秩父銘仙を間近に見ることができる機会が新緑の三溪園に訪れます。
ぜひ大勢の方に足を運んでいただきたいと願っています。

文/八谷浩美  写真/元木昌子

08 April 2013