琉球張り子・豊永盛人の世界

紅葉坂の横浜能楽堂に展示されている「琉球張り子・豊永盛人の世界」を見に行きました。
私の弟が沖縄在住のため、豊永盛人氏の名と琉球張り子はなんとなく知っていましたが、
作品を拝見するのは今回が初めてです。
今回の展示は、横浜能楽堂で催された横浜能楽堂・沖縄県立芸術大学提携公演
「琉球舞踊 受け継がれる伝統-古典・雑踊・創作-」に併せてのものだったそうです。
琉球張り子は、もともと玩具であり縁起物だそうですが、今回のテーマは「江戸上り」。
江戸時代に琉球国から薩摩、大阪を経て江戸へ、徳川将軍に謁見するために使節団が送られました。
それが「江戸上り」です。
一行には、琉球音楽・舞踊を演じる士族たちも随行し、江戸城や薩摩屋敷で演技を披露したそうです。
沖縄県立博物館・美術館所蔵の「琉球人座楽并躍之図(りゅうきゅうじんざがくならびおどりのず)」を基に
作られた張り子の人形の数々が温かい光の中で、楽しげに並んでいます。



まずは楽人たち。「琉球人座楽并躍之図」を見ても、張り子人形を見ても女性がいたのだと思いました。
「琉球人座楽并躍之図」には、それぞれの人の名前が書いてあります。
「女性」にはだいたい名字の下に「里之子」とか「子」と書いてあるので、疑いもしませんでした。

しかし、王府に仕える士族の役職として楽人や踊り手がいたというぐらいの知識は私にもあります。
ですから、女性がいるというのは、どこかおかしい。
「里之子」とか「子」って、女性を表す接尾語なんだろうかと調べてみたら、琉球士族の位階を表す言葉だったんですね。
「里之子(サトゥヌシ)」や「子(シー)」は下のほうの位で、比較的若い人たちだったようです。
もちろん「男性」なわけです。「琉球人座楽并躍之図」に描かれたなよやかな「女性」たちは、実はみんな
美少年だったのです。
踊り手はまだしも、楽人まで女装させるって、どうしてなんでしょうね?

こんな艶やかな琵琶奏者も、使節団の正使さまのお酒のお相手をしているのも、美少年なわけです。

どうも張り子から話題が逸れてしまいましたね。
ついつい連想ゲームのように、興味があっちこっちしてしまうのは、私の悪い癖です。

張り子人形は衣裳の文様まできちんと再現しながら、独特の軽妙さを表現しているところが
きもの好きとしては、見ていて楽しかったです。
特に帯の見せ方が絶妙なバランスです。

昔の宮廷音楽なのだから、雅な音色だったはずとは分かっていても
この4人の並びを見ると、周りでは賑やかなカチャーシーが踊られているような気がしてきます。

ついでと言っては申し訳ないのですが、能舞台も2階席から見せていただきました。
檜皮葺の屋根からでしょうか、木の香りが漂う立派な能舞台でした。

文・写真 八谷浩美

07 December 2013