白絵
馬車道の神奈川県立歴史博物館で、ちょっと変わった企画展が11月16日まで催されています。
「白絵 -祈りと寿ぎのかたち-」です。
白い絹あるいは紙、白木に白い絵の具で描く絵だから「白絵(しろえ)」。
この白絵を糸口に「白」という色が日本の文化の中で持っていた意味を見直そうという主旨のようです。
「白絵 -祈りと寿ぎのかたち-」パンフレットより
上の「白絵屏風」は江戸時代、200年ほど前に描かれたものですから
もともとは地の紙の色は白だったはず。
江戸時代の薄暗い部屋の中では、そこに何が描かれているのか見えたとは思えません。
でも、いいんです。この屏風は鑑賞するためのものではないから。
これは出産をする部屋、産室に邪気を払うために置かれたものなのだそうで、
新たにこの世に生まれる子どもに邪気がとりつかないように、白い調度に邪気を吸わせるわけです。
そのため、基本的に1回限りの使用で、使用後は破棄されました。
実際、現在まで残されている白絵屏風は、たった2対だそうです。
平安時代には白い綾絹を張った屏風を用いたそうですが、
やがて紙に絵を描いたものが使われるようになったそうです。もったいないですものね。
「誕生」、出産に関わるそのほかの調度も「白」基調だったようです。
破邪のために撒く米や土器、湯水などを入れておくための押桶(おしおけ)も白木に胡粉で松竹鶴亀が描かれ、
妊婦や介添えの人々の衣装も「白」でした。(展示の「源氏物語手鑑 宿木二」に描かれています)
もちろん、これは高貴な身分の方々、裕福な大商人の家の出産のしきたりだったのでしょうが、
「白」が邪気を払う色だという認識は時代が下るにつれ、庶民にも広まっていったことと思います。
「白」はまた、「死」を象徴する色でもあります。
古来、日本の喪服は白でした。
日本の喪服が黒に変わった発端は明治30(1897)年の英照皇太后の葬礼の時に、
政府が欧米列強に引けを取らないように黒の礼装を告示したことのようです。
ですから、ひいひいおばあさんぐらいまでは喪服は白だったわけです。
「白絵」展の展示の一つに、国宝「六道絵 人道不浄相」がありました。
これは見た目、ぜんぜん白くないんですが、
9つある「死」の相のうち、一番右上の人には白い袿(うちぎ)が掛けられています。
これは、この人が死んでいるという合図だと、ボランティアガイドさんが説明してくれました。
いま、きもので「白」といえば、花嫁さんの白無垢が真っ先に思い浮かびます。
なぜ白なのか。「真っ白のまま嫁ぐ、相手の家の色に染まるように」とか、「花嫁の純真さを表す」とか・・・
実は、そんなことではなく、ここにも「死」と「誕生」が関わっているのです。
生家の娘として一度死に、婚家の娘として誕生するのだそうです。
なんだか、ものすごい覚悟を迫っているようで、怖いですね。
邪気を払うという意味では、天児(あまがつ)と這子(ほうこ)の展示もありました。
どちらも白くてシンプルな形状の人形(ひとがた)です。
幼子の傍に置いて、子どもに寄ってくる邪なものを身代わりに受け止めてくれるもの。
子どもにきものを新調した時は、まず天児に着せかけてから、子どもに着せたそうです。
這子はハイハイをする人形として愛玩したと言いますが、
どちらもシンプルすぎるからか、なんだか呪術的なイメージで、私は怖かったです。
「白絵」展に行ったことで、ちょっと違った観点から
「白」という色について、調べてみたりしました。
それにしても喪服や白無垢を考えると、色に意味を与えるのが人間ならば、
その意味にとらわれてしまうのも人間なんだなあと、思うし、
それが文化というものかとも思います。
文・写真 八谷浩美
14 November 2014
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