心意気は羽裏に忍ばせて

「ちょっと、これ。面白くない?」
マダムが取り出したのは、男物の羽織。

黒のお召で、紋はなく、光の具合で細かなしぼが見えたり、見えなかったり。
全くの黒というよりは、呂色というのでしょうか、上品な遊び着といった風情です。
ちらと見える羽裏も、さほど主張する色でもありません。

裏返してみると、3種類の絵が散らしてあります。

「馬? いや牛だわね」
籠の中に笹。「笹で牛の体を洗うこともあるみたいよ」と葉さん。

「この2人は、なんだろう?」
「一人が、もう一人に巻物を見せてる?」 「巻物というより反物じゃない?」
「ね、なんか面白いでしょ?」とマダム。確かに、確かに。

「で、こっちは布袋さまが七福神を引き連れてるわけ?」  でも、布袋様を入れると8人になってしまいます。
書かれている文字も今一つ、読み切れません。
「なあんか、謎だねえ」と言いつつ、写真に収めます。

家に戻って、撮ってきた写真を眺めていると、突然1つだけ「寒山拾得」の文字が読み取れました。
しかも、なぜか「かんざんじっとく」と正しく読めちゃった。
どこかで聞いたことがある言葉です。調べてみましょう。

寒山は中国・唐の時代の僧・詩人だそうです。
寒山の詩には「<隠された宝>即ち仏は我々の外にではなく、我々の心の内にこそ求めるべきだ」という理念があると言います。
彼の師匠である豊干禅師が、ある日、道端で泣いている捨て子を拾って、
寺に住まわせ、厨の手伝いをさせたのが拾得です。
寒山拾得つまり寒山と拾得、そして豊干禅師は、画題としても有名なようです。
東京国立博物館には重要文化財「紙本墨画寒山拾得図」があります。
寒山と拾得は2人一緒に描かれるか、対で描かれることが多いのだそうです。
そこまで知って、あらためてそれぞれの絵を見ると、添えられた文字が読めてきます。

  

寒山拾得、豊干、牧童です。
巻物を手にするのは寒山、向かい合っているのが拾得。
この2人は、豊干禅師によって悟りを開いたといいますが、
権威を求める人には、罵声を浴びせ、ゲラゲラと笑って囃し立てるなど、
奇矯な振る舞いが多く、周りからは瘋癲(ふうてん)と見られていたそうです。
布袋さまに見えたのが豊干禅師。この人は、天台山に棲息する虎を手なずけて、乗り物にしていました。
豊干禅師が捨て子だった拾得を拾ったことから、7人の童子を引きずらせ、
ご丁寧にもそれを宝船に見立てているのでしょう。
そして、寒山と拾得がよく一緒に遊んでいたという、牛飼いの牧童は笛を吹いて遊んでいます。

「宝は我々の外にではなく、我々の心の内にこそ求めるべきだ」
そんな心意気を忍ばせた羽織。なんだか、カッコ良すぎませんか?
そしてまたもや、妄想が頭をよぎります。

大きく深呼吸を一つして、ドアを開ける。
「あ、タカヤマくん。きものなの? 素敵じゃない、銀鼠の紬にお召の羽織なんて」
この呂色の羽織に目を留めるとは、分かってるじゃないか。
でも誰だっけ? 65歳にもなって、久々に高校のクラス会に出ると、
同級生もいい年をしたおじさん、おばさんになっていて、誰だか分からないヤツもいる。
おじさん、おばさんと自分たちでは思うが、若者から見れば、じいさんばあさんだろう。「くん」なんてと苦笑する。
「おーい、タカヤマ。こっち座れよ」。コハシか。面倒だが、まあいいか。
コハシは、地元ではちょっと知られた材木問屋の息子だった。
バブルの時代に店を会社組織にし、今では息子が社長を継ぎ、本人は会長に収まっている。
「お前、地味なきもの着て、じじい臭いな。65ったって、男はまだまだだ」
「俺、最近マレーシアに家を買ったんだ。あっちで会社作って、安い合板を日本に輸出する。儲かるぞ」
それで、無駄に日焼けしてるのか、こいつは。
しかし、安い合板って、欧米が問題にしている違法伐採した木材を使ったものじゃないのか?
とうとうとしゃべり続けるコハシの声に混ざって、どこからか高笑いが、かすかに聞こえる。
周りを見ても、それらしい声のヤツはいない。
コハシの自慢話に聞き入る者たち、辟易して違う話をぼそぼそとする者たち。
女子は女子で、コハシの自慢話とは別次元の話に夢中だ。
高笑いが徐々に大きく聞こえてきたような気がする。酔ったか?
少し暑いなと、羽織を脱ぐ。それで気がついた。笑っているのは、こいつらだ。
羽裏の寒山と拾得が、卑俗なコハシを笑い、その自慢話にうんざりしている俺を笑っている。

01 May 2016  文・写真/八谷浩美

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