草双紙と文具
いつの頃から「読書の秋」などといわれるようになったのか解りませんが、今回は本と懐かしい文房具です。
草双紙(くさぞうし)とは絵入りの赤本、黒本、青本、黄表紙などの本の総称です。
江戸時代初期には木版印刷が開発され、京都、大坂、江戸で本の刊行がされるようになりました。
江戸の中期になると、赤本(絵入りでおとぎ話など、子ども向けの本、表紙が朱や紅で染めた本)、
黒本(歴史物語や歌舞伎のあらすじなど)、黄表紙(滑稽、洒落本)などが大量に出版され、 特に人情本に人気があったといわれます。
貸本屋もでき、大きな風呂敷に本を包んで得意先を回っていました。
江戸の後期になると、大坂で300軒、江戸で650軒も貸本屋ができたといわれています。
一軒平均180人ほどのお得意さんがいたといいますから、10万人を超す読者がいた計算になります。
この数字からも当時の人たちの知的欲求がどれほどか知ることができます。
もっとも、怪しげなウラ本も多く出回っていたそうですが、
そういった本もあってこそ出版文化が活性化された時代だったといえるでしょう。
貸本屋 『四時交加』寛政10(1798)年刊 国会図書館
大風呂敷は貸本屋の風呂敷ともいわれました。
絵草紙(えぞうし)
木版刷りで絵入りの通俗的な読み物本を「絵草紙」といいます。
この図は冊子(和綴じの本)の並べ方のおもしろさと共に、
表紙に意匠を凝らして画中画の方法でさらに深みのある文様にしています。
絵草紙尽くし
本石畳(ほんいしだたみ)
「石畳」は「市松文様」と同じことです。これは冊子を市松文様風に並べた文様です。
私の机の上にはいつも決まった本を置いていますが、その横には鉛筆立てがあり、
この間まで毎日鉛筆を丁寧に削って使っていました。
なのに一気にデジタル化の時代に移ってしまい「アナログ爺さんのアッシは毎日パソコンに向かって四苦八苦でゴザンス」です。
古くから中国でも文房具は大切にされ、文人にとって一番重要なものを「文房四宝」といい、
硯、墨、紙、筆がありますが、特に硯は愛玩の対象でした。
しかし、今時は、文房具などといっても無機質でツルツルの味気ない物ばかりになってしまいました。
手に持つ道具ですからせめて手触り感だけでも考えてほしいものです。
用件をどのように短時間で、スムーズに終わらせるか、便利さばかりが追求されています。
人間にとって便利さがどれほど重要か。
便利と文化とは違う気がします。秋の夜長に考え直すのはいかがなものでしょうか。
ナーンテいうから爺さんは煙たがられますが、
硯で墨をすり、恋する人に一筆したためるなどという風情は残しておきたいものです。
せめて美術館で買った絵はがきでも大いに使いたいものです。
筆散らし
筆
筆は古くは、「ふみて」といわれ、文(ふみ)を書く手から、こういわれるようになったようです。
江戸時代は日本中で寺子屋や手習い所が盛んになり、子どもの頃から筆を日常的に使っていました。
文箱(ふばこ)
書状などを入れておく手箱です。大切なものだけに、箱の装飾も金蒔絵など手の込んだものが作られました。
また、和紙を何枚も貼り合わせて、革のように耐久力の強い文箱も作られました。
大切な恋文もこうした箱に収められたでしょう。
ミスタッチでラブレター(メール)が消えてしまったなどということが起きませんように。
色紙短冊
色紙や短冊は美しい料紙で作られています。色紙の形も様々にあり、
王朝振りの文様を作り出すのには効果的な良い素材です。
栞(しおり)
書物などの間に挟んで目印とする短冊形の紙です。
「しおり」は「枝折り」から転じたといわれ、古くは木片や竹片で作られていたようです。
教養をふまえた女性に愛された文様です。
電子書籍の時代だからこそこんな文様を見直してほしいと、またまた、爺心。
11 October 2012
*このページに掲載されたコンテンツは熊谷博人に帰属します
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