クマさんの和更紗草子 其の参

和更紗の誕生とファッション③

和更紗の魅力

インド更紗は木版技法ですが、和更紗の技法はほとんどが型紙捺染技法で顔料を使っています。
故に、木綿の染色技法としてはインド更紗に比べて、堅牢度が低く未熟な点がありました。
それでも、旧来の日本の工芸には見られない、木綿に鮮やかな多色染めを施す新しい技法を試みました。
たとえば、和更紗の花柄を見ると、日本的な花の形から離れ、
憧れのインド更紗や、中国からの宝相華風の想像上の花ばかりです。
そして花だけではなく葉はさらに独創的で、とても葉とは思えないような、
装飾的なパターンになっていて、どこまでも伸びやかに自由に描かれています。
それでいて、型紙を使うという制約はきちんと守られています。
15㎝から20㎝の間隔で送られるパターンはどこが境い目なのか解らないほどに、自然に繋がれています。
日本人の感性と技術の高さの賜物でしょう。
そうして着尺の幅、約33㎝の中に異国情緒の漂う不思議な文様が整然と繰り返されていきました。
さらに、インド更紗を模倣しようとして工夫した結果、原色に近い顔料を考案し、以前の染織にはない鮮やかな色調になりました。
このことが、当時の人たちの美意識に大きな影響を与えたことは明らかです。
職人の意気込みが、異国情緒に富んだ文様から始まり、さらに、自分たち独自の更紗文様を生み出すことになりました。
この文様布には当時の人たちを虜にする不思議な魅力があり、特に新しいもの好きな武士や数寄者たちに、もてはやされました。
布団、風呂敷、袋物、帯、間着、夜着(画像1、2、3)といった日常的なものに
和更紗が使用されているところが、風俗画などに描かれました。
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画像1~3(クリックで拡大) 

現存する和更紗にも布団皮使用のものが多く残っています。
このことからも、当時の流行の先端をゆく布として、普段の生活の中にも充分に活用されていたと思われます。

片町にさらさ染むるや春の風   蕪村  (句集『夜半叟』より)

京、堀川沿いの片側町で、色鮮やかな更紗染めが、やさしい春の風に揺れている。
京都の春の風物詩といった様子がうかがえます。
この句は蕪村の晩年、安永7年(1778)から天明3年(1783)にかけて京都で過ごしたときの作ですが、
安永7年は和更紗の日本初の指南書である『佐羅紗便覧』が出版された年に当たります。
和更紗が最も普及した時代でしょう。
時には、派手好みな人を、「更紗形のできそこない」と笑ったという話があるぐらい、
ふつうに和更紗が庶民の口に上っていました。

このような町衆の熱気が、さらに、染め職人たちの意欲を高め、既成概念を取り払い、
日本オリジナルな文様を作り出し、繊細かつ大胆な新しい衣生活文化を開花させました。
このことは染織文化にとって画期的な変化です。
しかも、それらは現在の我々の生活の中にも無意識のうちに内在しているように思われます。
現存する江戸や明治の多彩な文様染めの和更紗を見ていると、
自分たちの身の回りの建造物、家具、調度品、そして衣装のなかには和更紗文様が潜んでいることに気づきます。
和更紗を生み出した人々の感性は、脈々と伝承されているように思われるのです。
下のジャケットとスカートは18世紀のものですが、現代でも特に女性用のプリント柄にはインド更紗や和更紗の柄が多用されています。

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画像5
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上記画像4のジャケットと5のスカートの出典
Chintz: Indian Textiles for the West, London, 2008.(Victoria and Albert Museum)

明治時代の終わりには衰退した和更紗ですが、
戦後になって、染料をはじめ、生地や染色方法が改善され、堅牢で良質な日本独自の更紗文様を復活させる人たちが現れました。
現在、少しずつではありますが、各地で和更紗が生産されるようになり、新たな感性が加えられています。
和更紗の未来にとって明るい材料といえるでしょう。

この連載を機会に多くの方に、和更紗の魅力に興味を持っていただければと願っています。

次回からは「和更紗」のおもしろ柄を中心に和更紗文様の話を進めます。

11 July 2018

*このページに掲載されたコンテンツは熊谷博人に帰属します

バックナンバー
其の弐和更紗の誕生とファッション②06 June 2018
其の壱和更紗の誕生とファッション①11 May 2018