受け継いでいく楽しみ

きもののいいところは、基本的に形状には流行りすたりがないこと。
柄には、その時代時代の流行りがあるけれど、それさえ帯や小物との組み合わせでアレンジが利く。
私のきものは、9割がた母のお古である。
母は洋服のセンスはからっきしだったけれど、きものに関しては我が母ながら良いセンスをしていた。
私のきもの観には、母の趣味がしっかり植えつけられている。
母のきものを受け継いで、今の私が今の気分で帯を選び、小物を選んで着る。
そんな受け継ぎ方をしている自分は、幸せだなと思う。

良いきものほど、一代限りではもったいない。血縁で受け継ぐ者がいなければ、他人でもいいのだ。
何人もの職人の手を経て作り上げられたきものの命を、無駄に終わらせるのは、
その工程の一つひとつを考えれば、なんともったいないことか。

例えば、この本場結城紬。
洗い張りされてきれいに巻かれたリサイクル反物の状態で出合った。
しっかりとした織りながら、年月を経た柔らかい手触りと
いわゆる結城紬らしくないあっさりとしたバンジョー(番匠)柄のような絣にひと目で惚れ込んだ。
若いころに見た「つくし」に巻き付けた真綿から糸を引き出す老女の姿が目に浮かぶ。
指を舐めつつ、糸を引き出す仕事を黙々と続けていたあのおばあさんは、もうご存命ではないだろう。
でも、その仕事を確かにこの目で見た私には、経緯の糸一本一本が愛おしいものに思える。
今どきの結城とは違い、昭和の結城は少々武骨だが、そのぶん丈夫なのだ。
どこかの誰かがこなれるまで着てくれたこの結城を、私は受け継ぐことにした。
せっかくの本場結城紬である。仕立ては、少々お高くても腕の確かな和裁士さんにお願いした。
お願いしたのが10月中旬なので、七五三やお正月、成人式などの急ぎの仕事が入っていて、
仕立ては少し時間がかかると言う。「単だし、急ぎません」ということで話は決まった。

待っている間に「あの結城には、木綿の半衿を合わせたい」と思い、木綿なら何がいいのか考える。
木綿にもいろいろあるが、晒やブロードでは味気ない。
ある日立ち寄ったインドの雑貨を売るお店で
カディコットンのキッチンタオルに触れたとたん「あ、これだ」と思った。

  

カディコットンは経緯手紡ぎの糸で織られた布。ふっくらとした表情が結城紬に合いそうだ。
肌に触れる半衿は頻繁に洗うから、高価なものでは困る。これならちょうどいいではないか。

  

そして年明け、父の襦袢が段ボール箱から出てきた。染めの格子がカッコいいじゃないの。
「これ、着られないかな?」。葉さんの「着られるよ。丈もほぼ大丈夫」の言葉に励まされ、
これまた結城に合わせることにした。

  

男物ゆえ衿が先まで同じ幅なので、三河芯で建て増しすることに。
針を折りそうになりながらの半衿付けなんて何年ぶりだろう。
これで、父の襦袢も受け継いでいくことになった。

そして2月、東銀座の紺屋廣瀬さんから奥ゆかしい寒中見舞いのはがきが届き、
きものが仕上がったと知らせてくれた。
たとう紙を開くと、丁寧な仕立ての単が現れた。あらためて、いい絣だと思う。
藍と錆色がリズミカルに並ぶ様に、嬉しさがこみ上げてくる。
春が待ち遠しい。いや、春になる前に着てしまうかもしれない。
まずは、ボディさんに着せてみる。

  

「朧月夜」と名づけた帯を結び、
帯揚げは薄曇りの空をイメージして薄い水色、帯締めは京藤色の一本を。

カディコットンの半衿も、しっくり。

このきものを愛したであろう初代の持ち主のことを妄想してみる。

陽当たりの良い縁側。籐椅子に腰かけ庭の桜を眺めていると、ふんわりとした心持ちになる。
身に着けた結城紬はまだちょっとごわつくけど、この優しい色と絣が好きだ。
呉服屋の植田君がこれを持って来た時のことを思い出す。
以前、私が「いつか結城が着たい」と言ったことを覚えていた彼は、
あの日、何本もの本場結城紬を持って現れた。
畳の上に広げられた紺地に白の絣が描く細かな文様の数々。その美しさに息をのむ。
「お持ちしたのは160亀甲の物がほとんどですが、250亀甲になると2000万する物もあります」
いくら世の中景気がいいとはいえ、そんな値段で普段着を買う人がいるのか。
ちょっとため息が出ると同時に、微かに嫌な気分が胸の中に入り込む。
目の前にある結城紬はどれも美しいし、誰が見てもひと目で結城と分かるだろう。
「あの人は結城を着ている」。私はそう思われたいのか。
それとも、着るほどに体になじみ、真綿のケバが立ってふんわりする風合いを身に纏いたいのか…。
そんな逡巡を私の眉間から読み取ったのか、
「こんなのもあるんです」と植田君が取り出したのが、今着ているこの絣だ。
クリーム色の地に藍と錆色の絣がちょっと雑に並んでいる。
経緯ともに節のある、160亀甲などより太い糸の風情もクリーム色であるからこそ軽やかだ。
いわゆる結城紬のイメージではない、その反物からは「しあわせ」という言葉が浮かび上がってくるよう。
しばらく見惚れてから顔を上げると、にんまりとした笑顔の植田君がいた。
してやられたとはこのことだ。初めから見せないところが憎たらしい。
でも、この敗北感は悪くない。それでこそ信頼する呉服屋さんの植田君だわ。
すでにこの結城を単にするか袷にするか悩み始めている自分がいた。

空想の初代に感謝を捧げつつ、二代目の私は私なりのコーディネートを楽しんでいきたい。

持ち主一代限りではもったいないのは、きものだけではない。
何十年もかかっていい味を出してゆく山葡萄の籠バッグなどは、
二代三代と受け継がれるうちに最初とは全く違った顔を持つようになるはずだ。

先日、手に入れた新品のこの籠の一番いい表情を私は見られないのかもしれない。
いつか、山葡萄の籠の良さを理解して受け継いでくれる人を探す時が来るのだろう。
ちょっと寂しく、悔しい気もするが、それまでは育てていく楽しみを存分に味わおう。

11 February 2018  文・写真/八谷浩美

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