今回から和更紗の面白い文様を紹介します。
まずは人物文様の中でも代表的な「白地紅毛唐人草花文様更紗」。
江戸時代にはオランダ人を「紅毛人」と呼んでいました。
「南蛮人」はポルトガル人、スペイン人のこと。
これらの異国の人たちを文様にしたのがこの更紗です。
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ではこの人物文様はどのように作られたのでしょうか。
江戸時代は海外との貿易が閉ざされていましたが、唯一世界に向けて開かれていたのが長崎。
その長崎で生まれたのが「長崎版画」「長崎浮世絵」といわれた、長崎土産の版画です。
それは、江戸や大坂で刷られていた浮世絵版画とは違い、長崎独自に作られ発達した版画です。
版画のテーマは長崎以外ではほとんど出会うことのない異国の人たち、
オランダ人、ポルトガル人、ロシア人、中国人などの外国人たち。
そして、阿蘭陀船、唐船、などの外国船、象や駱駝,洋犬など。
さらに、中国の正月などに飾られる「年画」という、めでたい絵柄というように、
いずれも日本では見られない珍しいものばかり。
当時、長崎には版元が数軒有り、それぞれに絵師、彫り師、刷り師を抱えていました。
江戸時代中期から幕末にかけて500点余が作られたといわれています。
この版画は長崎で作られていたべっ甲細工、ビイドロ細工、陶器などと一緒に
お土産として扱われていました。
軽くて物珍しい内容の版画は,
土産品として最適でした。
そして、版画は長崎から「堺船」で堺にも頻繁に運ばれて、人気商品の版画として売られました。
「紅毛人更紗」に登場する人物像には、長崎版画に影響を受けたと思われる図柄が多く見られます。
長崎版画をそのまま写したのではないかと思われる人物もあります。
インドから渡ってきた更紗に影響を受けて,その技法を模倣しようとした和更紗にとって、
長崎版画の異国の人たちの絵柄は、日本で作られる更紗にぴったりのアイテムだったわけです。
その風貌、身につけている衣装、その文様、このエキゾチックな人物更紗は、
当時の人たちの異国への憧れを満足させたでしょう。
今でも和更紗の代表的な図柄として人気があります。
では、具体的に更紗の文様と長崎版画を見比べてください。
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このように、長崎版画が単にお土産品として使われただけではなく、和更紗の文様に大きな影響を与えたことが解ります。
そして、この更紗だけでなく、他の更紗の図柄にも長崎版画の影響があるので、その都度紹介をしましょう。
次に、この更紗布がどこで作られたのか。産地については長崎という説と堺という説と二つに分かれています。
更紗の生地は広幅で1メートル50センチ以上あるので、インド産と思われます(中国産という説もあります)。
長崎に荷揚げされたインド産の木綿に、日本で作った型紙を使い日本で染めたことになります。
堺、長崎、両説共に決め手になるような資料はありません。
長崎説は広幅の木綿を使うのは長崎に多いこと、絵柄が長崎風という点が理由。
堺産と思われる理由は、長崎から運ばれた長崎版画を見て、堺で更紗用の型紙彫った。
型の寸法や染める時の送り方から堺。色使いが堺風といった理由です。
全体図を見ると同じ人物の型でありながら色を変えているところが、染め師のアイデアですね。
和更紗の産地については残念ながら、この更紗に限らず決定的な資料がなく、産地特定には曖昧な点が多いのが現状です。
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