栗鼠
『佐羅紗便覧』の「栗鼠手」。
栗鼠とはいうものの、これでは鼬鼠(イタチ)か狸のようです。
周りの植物は本来、葡萄が定番なのですがこれも??です。
葡萄は一房に多くの実を付けることから、
子孫繁栄のシンボルとして
縁起の良い文様として使われていました。
江戸中期の古渡り更紗を模して作られた和更紗で、
札入れか小物入れに使われていたものです。
このゆるさ、大らかさが江戸の人々のおもしろさでしょう。
こういった文様に人気があったようで、
バリエーションが多く残っています。
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『佐羅紗便覧』栗鼠手
縹地栗鼠葡萄文様更紗 江戸中期
*画像はクリックで拡大されます
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鹿
「鹿手」も『佐羅紗便覧』に記載されている文様です。
古渡り更紗として古くからある人気の柄です。
周囲の花は「梅」と記されています。
色の指定は赤、紫、藍、黄となっています。
カラフルな花文様に鹿も赤や紫。
小さなパターンばかりなので少し離れた所から見れば
可愛らしいカラフルな丸文様に見えるでしょう。
楽しく可愛らしい文様は女性に好まれたと思われます。
鹿と花の大きさのバランスもまったく自由。
「鹿手」というなら、もっと鹿を大きくせねばと思ってしまいます。
江戸時代中期のものと推定されます。
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白地鹿梅文様更紗 江戸中期
『佐羅紗便覧』鹿手
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鹿
こちらは江戸末期から明治時代の更紗。
百人一首でおなじみの
「奥山に紅葉踏みわけ鳴く鹿の声きく時ぞ秋は悲しき」
という歌を思わせる絵柄です。
天地寸法が162㎝、左右が130㎝という、一枚の大きな生地です。
この生地は江戸時代にインドから輸入されたものでしょう。
江戸時代にはインドや中国から広幅の白生地木綿が 大量に入ってきました。
その生地を使って長崎や、堺で染めていました。
しかし、この更紗の染めは長崎か堺か不明です。
文様の内容からすれば日本的なので京都とも考えられます。
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白地鹿紅葉文様更紗 明治
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波兎
謡曲「竹生島」の
「月、海上に浮かんで兎も波を走るか、面白の島の景色や」を
イメージして作られた文様と思われます。
琵琶湖に浮かぶ竹生島、後醍醐天皇の臣下が
竹生島の弁財天の社に詣でようとするが渡る手段がなく、
翁と海女の釣船に同乗させてもらった。
その時の情景がこの歌といわれています。
波間に映り揺れる月明かりが
月にすむ兎が走っているように見えたのでしょう。
竹生島の神々の神々しさを体感したという内容です。
このように文様の「兎」は
「月」の代用として表現されていることが多くあります。
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赤地波兎文様更紗 江戸後期
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蝶
道中着の文様です。なかなか手の込んだ技法です。
蝶の形は比較的写実的ですが、色使いは独特です。
花はアザミのようなちがうような。
女性用の道中着だったのでしょうか。とてもお洒落な文様です。
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濃茶地蝶文様更紗 江戸後期
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蝶
明治時代の和更紗で、化学染料が使われています。
江戸時代とはちがった色調で、このような華やかな文様には
この派手な色合いが合います。
化学染料は染色産業に大きな影響を与えました。
水を通せば退色する江戸時代の和更紗から、
堅牢度の高い更紗に変わってゆきました。
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白地蝶草花文様更紗 明治
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猫
和更紗のなかでは非常に珍しい猫の文様です。
この文様も大正時代です。
江戸時代の浮世絵には猫が多く登場しますが、
なぜか、江戸時代の和更紗には猫文様は見かけません。
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赤地猫文様更紗 大正
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貝
桜と貝の組み合わせは春の海辺の意味合いでしょう。
さらに、蛤と思われる貝には松竹梅のめでたい文様が
組み込まれています。
江戸時代は江戸前の海で潮干狩りができ、
品川沖の遠浅の海は潮干狩りの名所でした。
写真の生地はガーゼの様なやわらかい風合いで、
肌触りの良い木綿です。
この木綿の産地は西日本ではないかという説がありますが
確かなことは解りません。
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赤地貝桜文様更紗 江戸後期
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十二支
十二支といわれても、わからない動物ばかり。
ここまで変形しなくてもと思います。
大正時代の和更紗ですが、ちょっと大らかすぎますね。
でも、この布が世の中に出回っていたのですから、
ゆるい時代だったのでしょう。
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白地干支文様更紗 大正
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麒麟
麒麟とは書きましたが、確証はありません。
どこかに参考資料があって、
それを再現したのではと思われます。
技法的には丁寧な仕事ぶりがうかがえます。
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茶地麒麟唐草文様更紗 明治
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何?
ここまでデフォルメされると何が何だかさっぱりです。
でも、当時はこれが商品として成立していたのですから、
当然、何か解っていたでしょう。
どなたか解る方がいたらお知らせください。
全体の構成といい、技法的にはこちらもできが良いものです。
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白地唐花文様更紗 江戸後期
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