寄裂文様(染め分け文様)
「寄裂文様」とは写真を見ておわかりのように、
現代風にいえば何枚かの布をつなぎ合わせた、パッチワークのような文様です。
しかし「寄裂文様」は「染め分け文様」ともいうように、
さまざまな更紗文様を集めて構成した染め方で、一枚の布を数種類の文様に染め分けます。
染める部分を残して他はマスキングして隠し、染まらないようにしてから染めます。
染める部分はほとんどが不定型で、変形の三角や四角、さらに複雑な形になっています。
色数も5色、6色からもっと多いものがあり、
さらに、一度の型置きでは済まず、送りが加わることがほとんどです。
たとえば、一つの柄を6色とし、送りが3回、文様の種類を6とすると、6×3×6で108。
つまり1枚の寄せ裂文様は108回の染めの作業を繰り返さないと仕上がりません。
当然、これよりも手の込んだものも多くあります。送りの方法も一定ではなく、
上下の送りや、左右の送り、回転する送りなどさまざまです。
したがって、高度な技術が必要です。
同じ大きさの布をひとつの文様で染めるのに比べ、数倍の手間がかかり神経も使います。
それにもかかわらず、現在でも比較的多く残っていることからして、
当時、かなりの需要があったと思われます。
なぜ、こんな手の込んだことをしたのでしょうか。
ほとんどが正方形で90センチ四方を中心に大小あり、大きなものは150センチ四方もあります。
用途は風呂敷といわれています。
四隅に引っ張られた形跡が残っている物があったり、
裏側に使った家の屋号が入ったものも何点かみられるので風呂敷として使われたのは確かでしょう。
ただし、布の中心に重要な絵柄が入っているものもあり、
風呂敷にしてはこれでは大切な柄が底になってしまうので、他の使用法もあったのではとも思われます。
「打敷」といって仏壇に飾る荘厳具ともいわれています。
さらにわからないのは、これらの更紗の産地です。
私が考えている産地、京都・堺・長崎の文様が一枚の布に混在しているものがあります。
こういう更紗が出てくると私の、和更紗産地分類が根本から崩れてしまいます。
染め物は型紙があればどこでも染められそうですが、更紗は染めの技術が相当優れていないと無理。
誰もが染められるというものでもありません。それに、産地特有の色づかいもあります。
あえて、大胆な推測をすれば京都、堀川周辺の染屋さんならば染められたのではないかとも考えられます。
しかし、確証はありません。
和更紗は木綿地で絹に比べれば安価ですが、それでも、誰もが気軽に買えるものではありませんでしたし、
ましてや、これだけ手の込んだ染め物は相当高価なものだったでしょう。
そんな高価なものがそれなりに需要があったという江戸時代の後半は、それなりに豊かな時代だったと思われます。
残念ながら現代の技術では、この江戸時代の染めに追いつけないといわれています。
江戸時代に豊かな「衣文化」が存在したのは、
これらの更紗を求めた、町人を中心にした文化度の高いバックグラウンドがあったからでしょう。
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香川県志度町志度寺に残る「海女の玉取伝説」を表した 貴重な文様更紗。
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「おもしろ柄シリーズ」は、ひとまずここまでにして、
次回からはさらにマニアックになりそうですが、お付き合いください。
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11 September 2019
*このページに掲載されたコンテンツは熊谷博人に帰属します
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