クマさんの和更紗草子 其の十八

古渡り和更紗

古渡り更紗と和更紗

16世紀、大航海時代に入り、南蛮船、紅毛船などの大型船が建造され、世界の貿易に大きな変化が生まれました。
17世紀にはイギリスやオランダが東インド会社を設立し、アジアとの貿易に力を注ぎ始めます。
インドや中国、インドネシア、さらにはヨーロッパの商品が大量に日本にも渡って来るようになりました。
その貿易品のなかでもインド更紗は重要な品のひとつでした。

インドではすでに、15世紀頃から「更紗」の製産が始まりインド各地で、地方独自の文様が作られていました。
生命の樹を中心に想像上の鳥獣や草花で構成された理想郷を表す文様が主流でした。
当時としては珍しい木綿地に赤い色を主としたカラフルな染め文様。
世界中の人たちはこの色合いと精緻な文様に心を奪われたようです。

インド更紗は、ペルシャからヨーロッパに、そしてジャワやシャムにも伝わり、やがて日本にも渡ってきました。
日本ではまだ、綿花栽培が試行錯誤の時代です。

この、17世紀から18世初頭に日本に輸入されたインド製の更紗を「古渡り」といいます。
文様は「胡麻手」「笹蔓手」「鶏頭手」などの名称が後に付けられています。
なかには日本向けの、扇や家紋風な文様をインドに依頼したものもあります。
後に記す「彦根更紗」はこの「古渡り」を中心にした更紗の裂帳です。

この古渡り更紗を武士は権威付けとして陣羽織や小袖、武具の一部などに使用し、
茶人は茶席の敷物や茶道具を保護する袋物に、数寄者たちは着物や、小物入れなどに使いました。
このように古渡り更紗は当時のファッションリーダーの間で流行の先端をゆく素材として扱われていました。

しかし、これらの輸入更紗は大変高価で、庶民には手が届かぬ物。
そこで、憧れのインド更紗を見て、日本でも、江戸時代中頃からようやく更紗づくりが試みられるようになります。
最初は手描きでインド更紗の面白い花文様など部分的な文様を模倣していました。
「手描き更紗」は良質な木綿でないと上手く描けないことや、
時間がかかり量産できないことなどの問題がありました。
そこで、同時代に盛んに作られていた小紋染めや中型染めに使用する型紙を更紗染めに応用した「型染め技法」が生まれます。
これで、和更紗が一気に量産できるようになり、
多くの人たちが色鮮やかな、わが国独自の更紗を手にすることができるようになりました。

色彩の面では、木綿には藍がきれいに染まりますが、インド更紗のような鮮やかな赤い色を出すことができませんでした。
しかし、当時の職人はこの技術的ハンディを日本的な色彩と、自分たちの好みの文様を作ることに替えて大いに楽しんでいました。
*「古渡り更紗」の図版については「和更紗草子 十七」も参考にご覧ください。

彦根和更紗

「彦根更紗」と和名がついていますが、実はインドから渡ってきた更紗です。
いつの頃か、彦根藩の井伊家に残された「更紗裂帳」で約450枚あります。
本体の大部分はインド産「古渡り更紗」で、ほとんどが30センチほどの断片の裂ばかりです。
しかし、インド更紗のなかでも技術の高い貴重な更紗類です。
そして、彦根更紗には前回紹介した『佐羅紗便覧』(安永7年=1778)や
その後に刊行された、『増補華布便覧』(安永10年=1781)『更紗図譜』(天明五年=1785)などに
記されている更紗文様が網羅されています。
日本で刊行されたこれらの見本帳は彦根更紗と同時代に日本に渡ってきた物を見本として作られたのでしょう。

彦根更紗にはオランダ東インド会社がインドネシアやヨーロッパ、日本などの
輸入国の好みに応じて作ったと思われるものも多く残っています。
日本向けには扇、香袋、紋散らしなどの文様があります。
こうしたことから、オランダ東インド会社が染織に与えた影響は広範囲に及んでいたことがわかります。

「彦根更紗」は小さな裂ですが、現在まで大切に扱われ、
渡ってきた当時のままの状態で残っている姿を見ると、更紗裂に対する思いの深さが伝わってきます。
現在、東京国立博物館で保存され、東洋館の地下、染織コーナーに時々、数枚ずつ展示されています。

1 枕手 香手
日本からインドに発注した図柄と思われます。
名称は後に付けられたものです。
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2 扇手
これも日本発注の文様。
扇の要の部分が曖昧ですが、
インド人には不自然ではなかったのでしょう。
3 格天井
基本形は格天井文様で、
さらに、装飾が複雑に加わっています。
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4 鶏頭手
後に「花卉文様」ともいうようになります。
日本では人気の柄でバリエーションが多い文様です。
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5 段更紗
縞文様を「段」といいます。
段の中や段と段の間にさまざまな文様を入れて、変化を楽しめる文様です。
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6 シャム手
下側の格子文様は織り、
上側が手描き文様です。
7 胡麻手
地紋にあたる部分の藍の小さな点を
「胡麻」とみて、
このような名称が生まれました。
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11 November 2019

*このページに掲載されたコンテンツは熊谷博人に帰属します

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