クマさんの文様がたり

蝙蝠

郊外に出ると夏の夕暮時に、突然真っ黒な物体が頭の上を横切ることがあります。
わずかに明るさが残る空を見上げると、黒い物体は何羽も不規則に飛び交っています。
見た目には不気味なこの動物は、空飛ぶ哺乳類の「蝙蝠」。
文様では中国でも、韓国でも、そして日本でも吉祥文様として登場します。
中国では「蝠」と「福」が同音のため、蝙蝠は福を呼ぶものとし、めでたい動物とされました。
韓国も、日本もその影響を受け、吉祥文様として普及したということです。
吉祥を意味する発音を大事にする、ということは、頼れるものなら何にでもお願いしようということで、万国共通のようです。

江戸時代に、歌舞伎役者の七代目市川團十郎が、めでたい蝙蝠文様を着物の柄にしたことから流行し、
小紋、絣、浴衣などに使われるようになったと伝えられています。
実際に、七代目が使用していた煙草入れの根付けにも、蝙蝠柄のものが残っています。

「蝙蝠」の語源は平安中期の『本草和名(ほんそうわみょう)』に「加波保利」とあり、カハホリでした。
蚊をよく捕食するところから、蚊屠り(かほふり)という説や、
河辺の洞窟にいることが多いので、川を守の意味で、「川守(かわもり)」からという説もあります。
また、翼の特異な形から、「皮張り(かははり)」という説もあります。
そして、蝙蝠は、「蚊喰鳥」ともいわれるように、一日に数百匹の害虫を食べてくれる動物でもあります。

黒くて、あまり気持ちのよい動物でない蝙蝠が着物の文様に使われているのは、現代の我々からすると理解しかねますが、
当時は中国文化へのあこがれが相当強かったのでしょう。
中国貿易が盛んだった長崎で、皆さんご存じのカステラ屋さんの商標は蝙蝠です。
文様の本を注意してみていると、蝙蝠を意外と多く見つけることが出来ます。
そして、日本の蝙蝠柄は馴染みやすく、親しみのある柄になっているものが多いようです。

月に蝙蝠

月に蝙蝠

三日月に蝙蝠。江戸時代の夜は真っ暗闇です。
三日月の薄明かりの中を飛び交う蝙蝠は、人の霊魂が飛んでいるとも見られ、
不吉なものを感じさせると同時に、怖いもの見たさにもなります。江戸の人たちは好奇心が旺盛でした。

紋入り蝙蝠と枝垂れ桜

紋入り蝙蝠と枝垂れ桜

蝙蝠の中にさらに文様を入れ込んだ文様。蝙蝠もこうするとカワイイ文様となります。
枝垂れ桜が咲くころには蝙蝠も飛び交いますが「枝垂れ桜と蝙蝠」を題材とした絵画もあり、
この組み合わせには何か理由がありそうですが?
枝垂れ桜が吉原の遊女、蝙蝠が遊女の霊魂を表していると解釈すると、趣がガラッと変わってしまいます。

玉通し地に蝙蝠

玉通し地に蝙蝠

現代風にいえば、ドットが天地と左右に平行に並んでいるのを「通し(とうし)文様」といいます。
斜めに並んでいるものは「行儀(ぎょうぎ)文様」といいます。

『切られお富』

今回、蝙蝠文様を調べていたら蝙蝠文様の中に「井筒文様」や「格子縞」が一緒になっているものが多いのに気がつきました。
文様の名称は「蝙蝠に井桁」とか、「蝙蝠」だけのものもあります。
さらに調べてみると、この文様は、
歌舞伎『与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)』(嘉永6(1853)年初演)でお馴染みの『切られ与三』の書き換え、
『切られお富』(元治元(1864)年初演)の登場人物を表していると思われることが解りました。
与三こと、井筒与三郎。安こと、蝙蝠安。お富の着ている着物は弁慶格子、お富が住んでいる家は黒板塀に格子造り。
つまり、井桁文様ではなく「井筒」「蝙蝠」「格子縞」はセットであり、少しずつ変化しながら、この文様が普及していったと思われます。

井筒蝙蝠 井筒蝙蝠
井筒蝙蝠 井筒蝙蝠

『切られお富』の主人公は井筒与三郎、ごろつき仲間の蝙蝠安、
ふたりの名前から生まれた文様は、町人の間で大有卦(うけ)でした。
正式には正方形の井形が「井筒」、斜めの井形が「井桁」ですが、混同されて使われています。

格子に蝙蝠 縞に蝙蝠
格子に蝙蝠 縞に蝙蝠

お富さんが棲んでいた家が黒板塀に格子造りの家、着ていた着物が弁慶格子。
文様では格子がどんどん変化して縞模様になったと思われます。

三筋立てに蝙蝠

三筋立てに蝙蝠

こちらは『切られ与三』の「源氏店(げんやだな)」の場。蝙蝠安が与三郎に対し、
自分の頬に付けた蝙蝠の刺青と与三郎の顔の傷にかけて「三筋に蝙蝠はつきもの」という。
与三郎を演じる市川團十郎の定紋は「三枡文」、そして「三筋格子」。上の文様は、三筋格子を簡略にし、三筋だけにしたもの。
余談ですが、蝙蝠安のモデルになったという人物は実在した人物、本名を山口龍蔵といい、千葉県木更津市にお墓も残っています。

人気の演目は「しがねえ恋の情けが仇」から始まる名台詞と共に文様までも作りだし、町人たちの間に広がったことがわかります。
それだけ、庶民にとって歌舞伎が大きな娯楽の対象であったことがうかがい知れます。
(正確には、「しがねえ恋が…」や昭和30年頃の大ヒット曲『お富さん』は『切られ与三』のほうです)

『井筒に蝙蝠』文様は明治維新と共に生まれ、その後、大流行した文様ということがわかっています。
町人が使う、そば猪口や、お皿の文様、着物では藍の絣文様にも使われていました。
このように、蝙蝠文様は中国から伝わった「福」の意味だけでなく、歌舞伎の名場面を文様にして愉しんだことがわかります。
そして、蝙蝠文様のミステリアスな形は、「バットマン」の影響か、現代の若者にも少しずつ受け入れられ、
最近ではTシャツなどに見かけます。
文様も時代と共に意味合いを変え、人々の間に広がってゆきます。
一つの文様を見てゆくだけでも、時代ごとの生活文化の変化が見えてくるようです。

07 August 2013

*このページに掲載されたコンテンツは熊谷博人に帰属します

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