文芸文様
今回は庶民的な文様ではなく、少々高尚な意味合いの文様です。
何気なく見ている風景文様や器物文様にしても、
その背景には、古くから日本に伝わる文芸作品の主題が隠されていることが多くあります。
これらは以前にも書いた「留守文様」のひとつです。
人物を描かず、物語のひとつの場面を象徴的なモチーフを使って表します。
ということは日本の古典文学を知っていないと理解できない文様ということになりますが、
江戸時代には文芸文様が町人や、武家の女性の間でひとつのブームでした。
古典文学の留守文様の小袖や、工芸品が数多く作られました。
江戸時代の文化のひとつの特徴として、版本による出版文化の量産化があります。
仮名文字と挿し絵入りの木版本が何種類も出版されました。なかでも特に美しい本は「嵯峨本」といわれるものです。
江戸初期に京都嵯峨の豪商、角倉家が本阿弥光悦らの協力を得て出版した本で、豪華な意匠を施した美しい本です。
それらには『伊勢物語』『徒然草』『方丈記』『百人一首』や謡曲の本など国文学の作品が多く含まれています。
江戸時代の中期にはこれらの影響もあって「国学」が盛んになりました。
『万葉集』や『古事記』といった日本の古典文学の研究を通して、
仏教や儒教などの外来の文化、思想の影響を受ける以前の日本固有の社会や文化のあり方を探求する学問でした。
『嵯峨本』はこれらの研究書、教養書として読まれました。
江戸時代の武家や、富裕な町人の女性たちも、これらの版本を読むことで自らの教養を高め、
それらをふまえた文様を身につけることに喜びを感じていたはずです。
『万葉集』『古今集』『伊勢物語』や能、謡曲は武家の女性にとって学ぶべき教養であったことから、
衣装や身近な化粧道具、工芸品に文芸文様が使われています。
文芸文様で特に目立つのは『伊勢物語』『源氏物語』でしょう。
八つ橋
八つ橋杜若
『伊勢物語』「八つ橋」の段。
旅の男が三河の八つ橋という所にやってきました。
川が四方に分かれて流れ、八つの橋が渡してあります。あたりには、杜若がきれいに咲いていました。
ある人が「かきつばた」の五文字を句の上にすえて旅の心を詠めといったので、男はこう詠みました。
から衣 きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる たびをしぞ思ふ
(唐衣の着慣れたように、長年連れ添って慣れ親しんだ妻が都にいるので、 はるばるやってきた旅は侘びしさが身にしみることよ)
武蔵野
『伊勢物語』業平の東下り「武蔵野」の段。(第66回 鐙(あぶみ) 武蔵野 参照)
本来、尾花と昇る月の組み合わせが「武蔵野文様」ですが、さらに武蔵鐙が加わることがあります。
小督
『平家物語』や能に取り上げられています。
琴の名手で高倉天皇の想い人、小督の局は清盛の怒りを買い、嵯峨野に身を隠します。
芝垣を巡らした貧しい家から聞こえる琴の音(笛の音という説もある)により、
行方を捜していた高倉帝の使いに見いだされ、帝の深い御心を知ることとなります。
鼓の瀧
能の演目のひとつ。
春爛漫、帝の勅命を受けて臣下の者が桜を求めて諸国を巡るうち、摂津の国、鼓の滝にたどり着きます。
そこで年を取った木こりと出会い、桜にちなんだ古歌について語り合ううちに、
木こりは山の神であることを明かし、本来の姿になってめでたく舞ったといいます。
安宅
『義経記』などに取材した能の演目。
義経が奥州に落ちる途中、安宅の関で関守の富樫に怪しまれ、
弁慶が「笈(おい)」(背負子)から取り出した偽りの勧進帳を読んでその場を逃れるという逸話。
三輪山
『古事記』『日本書紀』崇神天皇の条に見える伝説。
『古事記』によれば、活玉依毘売(いくたまよりびめ)には夜な夜な通う男がおり、ついに身ごもってしまいます。
父母が怪しんで男の正体をつきとめるために、糸巻きに巻いた糸を男の衣の裾に刺すように娘に教えました。
翌朝、糸をたどって追ってみると三輪山にたどりつき、その男が三輪山明神であったことが分かります。
文様の杉は三輪山の象徴です。「縁結びの赤い糸」は、この伝説が元です。
武家や一部の商人の女性の間に、高尚な文様が流行れば、江戸の庶民は見逃しません。
知ったかぶりでも構わないので、八つ橋と杜若、源氏車などの文芸文様が、
型染めの文様となって庶民の晴れ着として利用されました。
江戸時代は「奢侈禁止令」が何度も出されていました。
しかし、江戸の町民はそれでも懲りずに、御上にばれないようにお洒落を愉しんだようです。
制約があったからこそ、新しい文様の作り方、使い方などが工夫され、新たな文化も生まれました。
理不尽な締め付けはごめんですが…。
16 July 2014
*このページに掲載されたコンテンツは熊谷博人に帰属します
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